尽山(つきやま)から見事に復活した、天然木曽檜の美林「奥千本」戦国時代に焼き討ちにあった社寺の復興や城の建築のために江戸時代安定期(確認)1600年〜1660年位までの間、木曽の山の木曽檜の大樹はそのほとんど全てが尽山(つきやま:大樹が切り尽くされて一切ない山)となっていました。
木曾檜の歴史
江戶初期、戦国の時代からの神社仏閣の再建や江戸・京都の大火からの復興の為の強度の過伐の後、わずかに残された母樹から、大量の種が風に運ばれ発芽して、復活してきた美林の木曽檜は、幼樹のころより300年以上の悠久の時を木曽の大自然の風雪に耐えて育って参りました。
約25年前に30%位の択伐を行い、樹間を広げた実験林である赤沢自然休養林の奥にある100林斑。母樹の下からまるで緑のじゅうたんのように天然実生の幼樹が競争しながら育っています。
木曽檜の成長
祖父母樹の根株に宿る孫の幼樹
発芽してから30〜40年ほど経った幼樹です。伐採後100年〜150年位経って、苔むした根株の上に、自分が泣いて寝る(=切り倒される)前に落とした種が発芽し、その後成⻑した子木から落ちた孫の種がいっせいに芽吹いたところです。
祖父母樹の根株に宿る孫の幼木
このおじいさん おばあさんの朽ち果てた根株が孫木にとって絶好の寝床(最も生活しやすい環境)となります。
石の上で競争する天然木曽檜とヒバの幼樹
石の上に根を張っていた老木の根株の上に発芽し、60〜80年経て、競争しながら成⻑している檜とヒバの幼樹の様子です。
大雪に寝かされる幼樹
まだ樹齢が60〜80年位で幹の直径6cm前後の幼樹は枝ぶりによって冬の間に大雪のとき、寝かされてしまいます。
下から見上げた檜
この様に下から木曽檜の大径木を見上げると大概3次元での曲がりがあります。ただし、伝統木構造による日本の社寺建築(特に破風、隅木、裏甲、茅負、木負、垂木等の屋根の部分)は曲がり材を多用し必要とします。こういった曲がり材は他の檜の産地(吉野、東濃、飯能、土佐等)では、幼木のうちに切られてしまい確保が難しいのですが、木曽では比較的容易に確保することができます。
根上り木
200〜300年経て、孫木が立派に成⻑したのを見とどけた後、老親木(おじいさん、おばあさん)の根株は土へと帰ってゆきます。
赤沢自然休養林内を含め天然林の森を歩くと、こういう根上り木の光景にたくさん出会えます。
400年以上もの悠久の時、風雪に耐えてきた天然木曽檜の大樹。見事な力強い根張りが見えます。
大樹として成⻑なし得るのは、幼木の頃の葉っぱであった力枝(写真で何本か太く見える)が、雪害や風害に会わず、元気な樹に限ります。
過熟木 自然淘汰前述のごとく、過熟木は250〜300年の生⻑の過程で、折れた枝から水が幹内部へ入り、内部で腐蝕菌が動くことによっておこる最大の欠点です。
幼木を活性化させ、二酸化炭素の吸収率を上げるためにも100林斑のような択伐方式を採用しながら、300年先の奥千本の森を作る為、300〜350年周期で森を活性化する必要があります。